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終活フェア開催~護得久先生・仲座先輩と一緒に考える終活

浦添城跡石材 終活フェア

護得久先生・仲座先輩と一緒に考える終活フェアを開催しました。

2024年6月8日(土)、地域の皆さまを対象にした「終活フェア」を開催しました。本イベントは、「備えあれば憂いなし」テーマに、多くの参加者にご来場いただきました。

第一部では、沖縄銀行の営業推進部リーダー、佐藤潤先生によるセミナーが行われました。銀行の視点から相続に関する様々な知識が提供され、聴衆の方々は先生のお話に大変聞き入っていました。相続手続きの流れや注意点についての具体的な説明は、参加者にとって非常に有益な内容でした。

続いて、第二部では税理士法人エヌズの所長、野原信男先生によるセミナーが行われました。税理士の視点から、将来に向けた準備や対策についてとても実践的なお話をお聞きすることができました。特に、税金面での効果的なアプローチや家族への影響を考えた戦略について、参加者からは多くの質問が寄せられました。

今回のフェアを通じて、多くの方が終活に対する理解を深め、自分自身や家族とのコミュニケーションを促進できたのではないかと思い、大変うれしく思います。私たちは今後もこのようなイベントを定期的に開催し、地域の皆さまが安心して人生を考えられる場を提供していきたいと存じます。

古くなったお墓、どうする⁉「お墓の石材リフォーム」できれいに解決

先祖代々の大切なお墓。毎年お墓参りには行っているけど、経年劣化でボロボロ…。

建て替えたいけど、“あること”が原因で工事ができない!という事象が増えてきているんです。

その意外な理由と、解決法をご紹介します。

 

古くなったお墓、建て替えできない理由は?

昔のお墓はコンクリート造りが多く、耐用年数はおよそ50年~60年といわれています。

 

昨今では、写真のように石材が割れてしまったり、鉄筋がむき出しになっていたり、中に水が入ってもろくなってしまっているお墓が増えています。

 

お墓参りのときに、墓石が割れて草が生えてきてしまっているお墓もよく見かけますよね。

 

こうなってしまうと、お参りのときに崩れてきてしまったり、隣のお墓を傷つけてしまう危険性も出てきます。

 

通常であれば建て替えとなりますが、実現が叶わない、“ある問題”が増えてきています。

 

それは「工事車両が入れない」という問題です。

 

山の斜面や海辺など、 昔は人の目に触れにくい場所に建てられることが多かった沖縄のお墓。

そのため道が整備されておらず、数百キロもの重さがある墓石を現場まで運べず、建て替え工事ができないケースが増えてきているのです。

 

残念なことに、あきらめて放置されてしまっているお墓も増えてきているのが現状です。

 

今になって表面化してきた現代の沖縄特有のお墓問題に対し、弊社・浦添城跡石材では問題解決に向かってある方法に取り組みました。

 

石材リフォームでお墓がきれいに生まれ変わる

 

それは「お墓のリフォーム」です。

お墓の劣化した面を削り取り、天然の御影石で覆うことで新品同様に美しくなります。

 

写真のお墓は、石材リフォームでピカピカに生まれ変わりました。

 

お墓の周りを新しい御影石で覆って固定し、隙間は水が入らないようにコーキング。天井も防水塗装を施しています。

 

パッと見たところ、新しく建て替えたのと変わらない仕上がりです。

 

これなら工事車両が入れない場所でも作業できますし、費用も建て替えよりお安く済み、さらに今後数十年もつことが期待できます。

 

独自の技術で石材リフォームを実現

(国内の石材加工工場)

お墓の石材リフォームは、石材の加工技術と、職人さんの施工技術、両方の技術が必要となるため、どこの会社でもできるものではございません。

 

弊社・浦添城跡石材は、中国と沖縄の両方に提携している工場があります。

石材の採掘・加工は中国で、現場に合わせた細かい加工は沖縄の工場と職人さんにお願いするという製法を開拓し、独自の石材リフォーム手法を実現しました。

(中国の採石場)

現在は ITの普及により、建築に使用されるCADソフトを用いてリアルタイムで中国の工場に細かい指示を出し、もとのお墓の形に合わせて施工する技術を持った沖縄の職人さん達とも密に連携を取りながら、沖縄のお墓問題を解決できるよう日々取り組んでいます。

 

ご先祖様からのお墓を大切に守るために

お墓のリフォームを施工されたお客様からは、

「古いお墓をどうしたらよいか途方に暮れていたが、お墓の石材リフォームのおかげできれいにできて助かった」

「祖父が建てたお墓を守ることができました!」など、ありがたいことに感謝のお声をたくさんいただいております。

 

お墓は、ご先祖さまと繋がる大切なもの。

子や孫の世代まで残せるよう、きれいに大切に維持したいですよね。

 

物事がうまくいかないとき、よく「お墓掃除ちゃんとしてるか?お墓参り行ってるか~?」って言われたりしますよね。

ウチナーンチュにとって、お墓はそれくらい大切なものです。

 

ご先祖さまの思いを残しつつ、お墓をきれいにする石材リフォーム。

無料相談も受け付けていますので、お電話やHPでお気軽にお問い合わせください。

 

📞お電話でのお問い合わせ(フリーダイヤル)

0120-513-512

 

▼TV番組で「お墓の石材リフォーム」が紹介されました!ぜひご覧ください

https://www.youtube.com/watch?v=VYOi1lNUq_8

 

 

意外と知らない?沖縄のお墓の歴史

玉陵
那覇市歴史博物館 提供

沖縄のお墓の遍歴①風葬

沖縄のお墓と言えば、亀の甲羅のような形の「亀甲(かめこう)墓」が有名ですよね。

沖縄のお墓の歴史を辿ると、亀甲墓や破風墓のようなお墓を造るようになったのは16世紀以降のことで、長い琉球の歴史でいうと意外と最近のことなんです。

亀甲墓や破風墓が建てられる以前は、洞窟や森の中に遺体を安置して葬る、いわゆる「風葬」が一般的だったと考えられます。
このため、火葬の風習は歴史が浅く、本土とは異なる独自の風習を持っていたことがうかがえます。
琉球王国時代に聖地とされていた久高島では、1960年代まで風葬が行われていたと言われています。

沖縄のお墓の歴史②破風墓

風葬の風習は、やがてその周りを石積みするようになり、人工的に手を加えて掘りを大きくし、屋根を作るようになっていきました。そうやって作られるようになったのが「破風(はふう)墓」と呼ばれる家型のお墓です。
首里の王家の墓で有名な「玉陵(たまうどぅん)」がこの破風墓の代表格です。糸満市の「幸地腹門中墓」も有名です。

これらの古いお墓が岩壁を背にしている大きな墓であるのに対して、現在、個人墓の多くは平地に建てられた家形のこじんまりとした破風墓で、「ヤーグワーバカ」とも呼ばれます。

沖縄のお墓の歴史③亀甲墓

沖縄のお墓でポピュラーなデザインである亀甲墓は、1600年代以降に登場したと考えられています。
沖縄の初期の亀甲墓は、伊江御殿墓(いえうどぅんばか)や護佐丸の墓などが有名です。

亀甲墓は、お墓の歴史でみると意外と新しい形なのです。一方で、その独特のお墓のデザインは、中国の思想的な影響を受けていると言われています。

中国では、人は人生を終えると母親の胎内に戻るという「母体回帰」の思想があります。
亀甲墓の形は女性の子宮を象徴していて、その中にお骨を収めることで、人が胎内に戻っていくという中国由来の思想を反映しているものと考えられます。
このように亀甲墓は、昔の中国の思想・文化的な影響を強く受けていることがうかがえます。

ただし、この時代にお墓を造るということは、この時代には、王族と士族にしか認められておらず、一般庶民がお墓を持つまでには至りませんでした。
琉球王府時代には庶民が墓を造るのは禁止されていたため、一般的に広く流行したのは明治時代以降になってからのことです。

「沖縄のお墓」と「本土のお墓」の違い

玉陵 沖縄のお墓

沖縄と本土のお墓の違い①お墓の大きさ

県外から沖縄に訪れた方が驚かれるのは、沖縄のお墓の大きさ。
住宅街や市街地などに突如現れる巨大なお墓を見かけて、公衆トイレと間違える方もいるとか。本土では考えられない大きさなのです。

このお墓のサイズ感が、沖縄のお墓と本土のお墓との大きな違いです。
本土では1平米の敷地に高さ約150cmが一般的な大きさですが、沖縄では3坪(約10平米)の敷地に高さ2m以上のお墓が主流で、お墓の前にはある程度の広さの墓庭が付いています。

4月の清明祭(シーミー)の時期になると、この墓庭にテントやブルーシートが広げられ、祖先供養で親戚が集い、ピクニックのように会食を行います。沖縄県民にとって、お墓は親戚との交流の場としても重要な場所となっているのです。

沖縄と本土のお墓の違い②納骨の仕方

お墓の形状が異なっているのは、沖縄のお墓文化が中国の影響を受けていることもありますが、納骨の方法が異なることもその一因と考えられます。

沖縄では、お骨を平均7寸(約21型サイズ)の骨壷に納め、そのまま地上納骨をします。
そのため納骨室(大きなスペース)が必要になります。
お墓の内部は三段のひな壇になっていて、門中墓でしたら納骨室の奥の方に合葬する箇所を設けてあります。
最近のお墓では骨壷を安置するひな壇の下にそのようなスペースを設けるようになっており、三十三年忌を終えた方はそちらへ合葬されます。

それに対し本土では(※地域差もあります)、お骨はサラシ(白い布)で包んで「カロート」という地下納骨室に安置されます。地上納骨室がない分、お墓もコンパクトになっています。

また、沖縄のお墓は「家」のような屋根付きのお墓が主流なのに対して、本土では四角い墓石を積み上げ、一番上に「●●家之墓」と彫刻された墓標が乗ります。
お墓参りをするときは、沖縄ではお骨が眠る墓扉に向かって手を合わせますが、本土では墓標に向かって手を合わせます。ここも大きな違いですね。

このように、同じ日本でも、本土と沖縄では異なるお墓文化ですが、ここ最近では、霊園の普及により、両者の主な特徴をとらえた霊園型のお墓も多く見られるようになってきました。時代の変化と共にお墓の形も少しずつ変わってきています。

亀甲墓のシーミー

清明祭(シーミー)。墓前でピクニック!沖縄琉のにぎやかなお墓参り

 

「清明祭(シーミー)」は、18世紀中頃に中国から伝来した文化で、二十四節気の一つである清明(せいめい)の節内に行う墓前祭のことです。

沖縄の年中行事の中でも重要な、祖先供養の催しです。

清明祭では、代々の父系の血族が眠る「門中(もんちゅう)墓」に一族が集まり、重箱料理やお酒、果物、菓子、お花をお墓にお供えします。

シーミー料理

 

お線香を上げ、ウチカビ(あの世のお金)を焼いて、お墓の土地の神様に対して感謝の意でお礼参りをし、ご先祖様の祖先供養を行います。

ウチカビ

 

親戚が一同に集まって墓庭に敷物を敷き、お供えしたごちそうをいただく賑やかな行事です。

まるで「お墓の前でピクニック」をしているような文化は、沖縄県外では見慣れない光景で驚かれる方も多いですが、沖縄では親族の親睦の場にもなっています。

清明祭は旧暦の3月(新暦の4月5日頃)の「清明の入り」を迎えた後、2週間の間で行われます。

現在では墓地が混み合うこともあり、期間が延長されて5月のゴールデンウイーク頃までの間、週末を中心に行われています。

沖縄で4月ごろに散策する機会があれば、沖縄のお墓を注目してみてください。お墓の前でブルーシートを広げて、楽しそうにご馳走を食べている人たちに出会えるかもしれません。